チェックマーク法務事務所
行政書士
阪本 清爾

自由に生きたい人の心に光を灯す。

学生時代に訪れた異国の地で人生観が大きく変わったという若者は多い。日本にいるだけでは感じることができない、価値観の違いや、生きることの意味に触れるからだろう。阪本清爾も、そんな若者のひとりだった。20代は自由を追い求め、シカゴ、軽井沢、ニュージーランドを渡り歩き、常に楽しく、生きたいように生きる選択をしてきた。そして帰国後、幾度も挫折を経験し、それまでの自信をすべて奪われながら、ようやくたどり着いた仕事が行政書士だった。阪本が携わると、それはまるで、“自由に生きたいと悩む人の心に光を灯すような仕事”のようにも見えた。そう感じさせる阪本の生き方とは...。

自由を追い求め生きたいように生きてきた20代。

大学2回生の時、ホームステイでアメリカを訪れた阪本清爾は、わずか一ヶ月の滞在で、それまでの価値観が崩壊し、アメリカにすっかりハマってしまったという。

「生きたいように生きている人たちと接しているうちに、自分も絶対にそうなりたいって思うようになっていました。」

大学4回生の時には1年間休学し、シカゴに語学留学している。1年後にはアメリカの大学に入学願書まで提出したが日本での今後を考え、帰国して大学に復学。大学卒業後に就職した先は、軽井沢のリゾートホテルのレストランだった。

「当時はスノーボードに熱中していたので、毎日できる職場としてそこを選びました。」

2年ほどはそこで働いていたが、本格的にスノーボード生活がしたくなり、ホテルを退社。冬は日本の雪山に仲間と家を借りて住み、夏は南半球のニュージーランドに長期滞在。シーズンオフの春と秋は、鬼のようにバイトを掛け持ちし、お金を貯めてはスノーボードをするという生活をした。

生きたいように生きていた阪本だったが、そんな生活も一瞬で終わりを告げられることになる。

「ニュージーランドで調子に乗ってでっかいジャンプを飛んだのですが、着地に失敗して膝をやってしまいました。」

これをきっかけに、夢のスノーボード生活を諦め、地元に戻ることになった。

阪本清爾、27歳の時だった。

挫折の連続で自信をすべて失った暗黒の日々。

地元に戻ると、昔遊んでいた仲間は、みんな就職や起業をして、遊ぶ暇もないほど仕事をしていた。ひとりだけ宙に浮いているかのように生きてきた阪本だったが、さすがにこれではいけないと思い、真剣に将来のことを考えた。

「大昔に祖母が不動産の仕事をしていた絡みで司法書士という存在を知っていました。難しい資格だとは分かっていましたが、一生の仕事にできると思い、資格試験に向けた挑戦を始めたんです。」

しかし、世の中はそんなに甘くはない。何度試験を受けても、落ち続けた。

「4回目の試験に落ちたときは、相当落ち込みましたね。鬱病になるんじゃないかと周りから心配されるほど打ちのめされていました。周りはある程度安定した生活をしていましたし、年齢的にもきついものがありました。」

司法書士事務所で働きながら勉強していたので、食うことに困ることはなかったが、それまでの自信がすべて失われてしまったかのよう暗黒の日々が続いた。

アメリカでのひどい想い出が希望の灯りになった瞬間。

司法書士事務所で働いていた阪本は、ある日、同じ士業の行政書士という仕事に興味を抱くようになる。

「行政書士の業務を詳しく調べているうちに、色々な可能性を感じるようになったんです。特に外国人に関わる手続きで、就労ビザや結婚ビザの申請、帰化や永住権の申請など、困っている外国人のことを考えたとき、アメリカでのひどい経験を思い出したんです。」

阪本が語学留学でアメリカに滞在していたある日、自動車と接触して、頭から出血する大けがを負った。運び込まれた病院でホッチキスのような物で傷口を綴じ、幸いにして大事にはいたらなかったのだが、日本と違い健康保険がないので、高額の医療費がかかった。車を運転していた白人男性に医療費を請求したが、「アジア人に支払う金はない」と一蹴されたという。

「何度も手紙を送ったが、支払う気がないようで、あまりにもむかついたので、片言の英語で交通裁判所に乗り込みましたよ。」

なんとか最後は渋々支払わせることができたが、差別を受ける側の心情や、マイノリティとして生きる事の大変さをリアルに経験した。

「日本で住んでいる外国人も、言葉の壁や、制度・法律の違いなどで、悩んでいる人も多いはず。そんな人のお役に立てたら、喜んでくれるに違いないって思いましたね。」

自ら外国で経験した嫌な思い出が、少しだけ希望の灯りになった瞬間だった。

行政書士として独立。そして、さらなる高見をめざして。

ほどなく行政書士の資格を取得し、2012年9月、務め先の務所内独立という形で行政書士業務を開始した。行政書士のフィールドは幅広く、常に新しい知識の習得が必要だが、最も重要なことは依頼者の話をよく聞くことだという。

「ホテルのレストラン勤務の時代から、自他ともに認めるほど接客業に向いている性格なんです。細やかな配慮を常に意識していますし、依頼者の求めていることを正確に理解し、解決までの道筋を的確に伝えることが必要なこの仕事の性質に、自分の性格がとても合致していると感じています。」

2014年6月に「あまがさき法務事務所」に移転。当初考えていた外国人の悩みだけではなく日本人同士の問題、特に離婚問題にも取り組み始めた。通常のウェブサイトとは別に、離婚問題専用のサポートサイトを立ち上げたほどだ。

「ミッションは問題解決までサポートすること。だからこそ依頼者が喜んでくれたときは大きな充実感と幸福感に包まれます。」

今後のビジョンを尋ねると、ジャンルを問わず、時代の流れに合わせて、色々なビジネスを展開したいと応えてくれた。

「今はこの仕事が一番楽しいと思っていますが、この先もっと楽しい仕事と出会うかも知れないですからね。」

自由に楽しく、生きたいように生きる。それが阪本の生き方なのかもしれない。

text by Hayashi“rice”Tomoaki


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「チェックマーク法務事務所」は、司法書士と行政書士との合同事務所となっており,互いの業務を連携することで,幅広くお客様のニーズに対応することをめざしている。モットーは「懇切丁寧」「親切親身」。日常生活に関する法律の悩みがあれば、筋道を示しながら、共に解決できるまでしっかりサポートしてくれる。そのフィールドは幅広く、法的に書面を交わすものに関しては、すべてが相談範囲だ。今は何の問題もないかもしれないが、何時必要になるかはわからないもの。どういったことを相談できるのか、事前にウェブサイトを見て確認しておくといいかもしれない。

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