こはる会計事務所 代表
税理士
眞鍋 剛

どんな夢でも叶える魔法 、それは続けること。

四国の田舎町で純粋にスポーツに打ち込み、勉強もせず悪友達とやんちゃな遊びに明け暮れた少年がいた。高校卒業時に志を立て、多くの仲間が仕事をし始めるときに、予備校、大学、大学院で勉強し、紆余曲折を経て税理士として独立。そんな昭和の原風景を描いた映画のストーリーのような半生を送ってきた男が、眞鍋剛である。眞鍋と会った人は、順風満帆に生きてきたエリート税理士にはない「人間臭さ」や「こころ」を感じると、異口同音に語る。人なつっこい笑顔だけが、そう感じさせている訳ではない。日頃の言動からにじみ出るもの、その奥底に流れているものが何なのか。眞鍋剛の魅力に迫ってみた。

やんちゃばかりしていたけど、今の自分の礎がつくられた青春時代。

四国のちょうど真ん中、交通の要所で栄える愛媛県四国中央市。瀬戸内海に面したこの街に、眞鍋剛の原風景が広がっている。

中学入学と同時に地元では強豪で有名だったサッカー部に入部。1年生は水を飲んではダメという縛りと鬼のような先輩のもと、ボールを触ることのないトレーニングの日々が1年間続いた。

「きつい練習が終わってから、自主的にボールを使った練習を繰り返す毎日でした。あの時の辛さにくらべたら、今は何があっても楽に思えますね。」

ハードな部活の後は倒れて寝ていたと思いきや、そこは当時荒れていたという中学だけに、エネルギーは尽きることを知らない。夜中にこっそり家を抜けだし、原付バイクを借りて隣町まで遊びに行ったり、悪友たちとのやんちゃな日々は、眞鍋にとって大切な想い出だ。

「良い悪いは別として、人に必要とされるならば、それに応えられる人になろうとこの時から思っていましたね。縦と横の人とのつながりの大切さを学んだのもこの時代。あきらめず勝つまでやり続ける精

神を培ったのも中学の時でした。」

高校に進学すると今度はバンド活動にのめり込む。ガレージに楽器を持って仲間と集まり、ひとつの音になった時の心地よさは今でも忘れられないという。文化祭に出演するバンドとしても選ばれ、大勢の人の前でパフォーマンスをする快感も経験した。

「自分自身に自慢できるようなことはありませんが、その時々の周りの友人、知人、先輩に恵まれていたこと、いることが、私の最大の自慢です。」

井の中の蛙で終わりたくない。ただそれだけの想いを持って関西へ。

楽しいことが大好きで、そればかりを追い求めていた眞鍋だが、高校3年の時に、大きな岐路に立った。

「友人の中で大学に進学する人がいなかったほどまったく勉強してこなかったのですが、このままずっと愛媛の中で生涯暮らすことに疑問があり、何かになりたいという思いはないものの、井の中の蛙にはなりたくないことだけで進学を決意したんです。」

眞鍋はそれまでの生き方と訣別するかのように高校卒業と同時に大阪に出て、予備校通いを始めた。

「この時すでに自分で事業を始めている友人もいたんです。大学に入ったらまじめに勉強して、頭を使った仕事で、そんな友達と対等に話ができるような自分になるって、この頃から決めていましたね。」

近畿大学商経学部に入学し、頭を使った仕事で自分にもできる仕事を模索。ビジネスとしての可能性を考え「税理士」に的を絞った。

「試験に受かるかどうかではなく、受かるまで諦めなければ、必ずなれると思ったからでした。」

修士論文を国税庁に提出して認められれば、税理士試験の一部が免除される制度を活用するため大学院に進学。残り科目は働きながら試験を受けるため税理士事務所に就職した。

達成するまで諦めず挑戦し続けて得たものの価値。

これまでの眞鍋の人生は、決して順風満帆ではない。

「予備校も、大学も、税理士試験も、すべて自分の目標通りに進んだわけではなく、人より時間がかかりました。それでも達成するまで挑戦し続けたからこそ、今がある。その価値は、これからの人生にとても大きな意味をもたらすと思っています。」

大学院卒業後に就職した岸原会計事務所では、個人事業、法人事業、相続税申告、経営助言、融資計画書作成、セミナー講師など、なんでもチャレンジさせてもらえる環境を与えられた。

「何でもチャレンジするのは自由だが、何か問題があった時の責任は、職員個人がすべてを背負う事務所で、だからこそここで務めさせてもらおうと思いました。いくつかの失敗と損失金額の自腹補填も経験しました。ここでの約10年間で培った税理士業務、特に相続税に関する業務は、独立してからは非常に役に立っています。」

そして、2013年1月21日、「こはる会計事務所」を開業。眞鍋剛35歳の時だった。

関わるすべての人の心が晴れやかになるように。「こはる」という名に込めた想い。

こはる会計事務所の「こはる」とは、「心が晴れる」を意味している。実はこの名前、姪っ子の名前と同じだという。

「関わるすべての人が心から晴れやかになる事務所を目指し、名前をもらいました。そうなるためにも、お客様も我々も共に成長し、お互いの夢を実現できるよう、どう考え、どう行動すべきかを、日々考え実行するよう心がけています。」

独立してからも、すんなりとはいかないのが眞鍋の人生。開業して8か月後には、早くも損失金が発生した。最小金額での開業を行い、顧客数も少なく借入を取り崩し経営している状況だったので、人生初のカードローン借入を行い、なんとか弁済することができた。

「独立する際、私自身のルールとして決めていたことが、〈独立してからの責任については、雪が降っても、雨が降っても、私個人の責任であると捉え、現状から逃げないこと〉で、これに乗っ取って実行しました。実行できるだけの可能性が自分に残されていたことに対して、神様が残してくれた私の未来の可能性だと言い聞かせて、前を向いてやるしかないという覚悟に至りました。また、このことを気にかけて、支援してくれる人が私の周りに幾人かいてくれたことも、まだ自分は見捨てられていないのだと思えましたね。」

この時の借入損失にいては、事業上の損失ではなく、自分自身への戒めのため個人の収入から返済するようにし、すでに完済したという。

眞鍋と話していると、純粋な人の心に触れた心地よさを感じる。

「人に必要とされるならば、それに応えられる人になる」やることは立派になったが、中味は“中学生の眞鍋剛”のままなのかもしれない。

text by Hayashi“rice”Tomoaki


こはる会計事務所
関わるすべての人が心から心晴れやかになる会計事務所をめざして

「経営者の片腕(左腕)として経営をサポートすることを通じて、関わるすべての人を幸せにし、豊かな社会に貢献すること」を経営理念に、関わるすべての人が心から心晴れやかになる事務所をめざしている「こはる会計事務所」。信頼できる人がいるから安心できるのではなく、信頼できる人の集まりである「こはる会計事務所」だから、相談・依頼をしても安心できるというだけあって、FICのメンバーを含めそのブレーンは豊富だ。夢や目標を叶えるために税理士としてのサポートを求めている方は、ぜひ気軽に相談してみてください。

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